首都プノンペンの中心部から南西5kmに位置する通称ゴミ山。
ここは街から出たゴミを集めている集積場。毎日400台以上のトラックがここにゴミを運んでくる。この集積場は日本の集積場とは大きく異なっている。この巨大な山には、人が住んでいる。正確な数は不明といわれているが、2000世帯の人が暮らしているとされている。

『ゴミ山の暮らし』
プノンペン、カンボジア。2009年、4月。
ゴミ山を歩く。臭いがきつくて鼻で息することができない。特にヘドロの近くを歩くときは口呼吸すらできない。物質というのはこんなにも異様な臭いを発することができるのか。とにかく、臭い。
トラックの後に付き、ゴミ山の上に上がると凄まじい光景が広がった。トラックが捨てたゴミの周りに、何人、何十人、いや何百人もの人がいる。皆、一様に下を向き、ゴミを漁っている。彼らはこの中から、金属や瓶、缶などを集め、生計を立てている。子供で1ドル、大人で2ドル。劣悪な環境で一日働き、彼らはお金を得ている。
ここにいる人々は、この劣悪な環境の中で生まれ、暮らし、遊び、働き、死んでいく。
この山から出たことはあるのだろうか。
街へ行ったことはあるのだろうか。
彼らの表情は明るい。大人は笑顔で、楽しそうにゴミを集めている。子供はゴミを拾う中で遊びを見つけ、自分のものにしている。ここにいる人たちはプノンペンで出会った誰よりも良い顔をしている。

『誇り』
プノンペン、カンボジア。2009年、4月。
僕が何かを質問をすると笑顔で答え、快く僕を受け入れてくれた。綺麗な洋服を着て、カメラを持った観光客を。俺たちは見世物じゃない、俺たちを何だと思っているんだ、そう言われても全くおかしくないはずなのに。
それは、彼らが、生きることに飢え、生きることを楽しみ、生きることに誇りを持っているからではないだろうか。
そこには、ゴミ山=不幸の構図はない。
ここには無料の学校もクリニックもある。しかし、全ての人々がここに通えるわけではなさそうだ。どちらも時間とお金に余裕のある人に限られている。ある男の子は、目が真っ赤に晴れ上がり、足も傷で相当悪い状況だった。
ここは人間が住めるような場所ではない。
劣悪な環境だ。
だが、そんな中で誰よりも高貴に暮らしている人々がいる。

『ある日の休み』
プノンペン、カンボジア。2009年、4月。
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